ユース時代の過酷トレーニング
こんばんは!!
みなさん本日もお仕事お疲れ様です!
本日は、高校時代のキツかった練習を紹介したいと思います。
ユースチームは毎時火曜日が、フィジカルトレーニングの日となっていまして、月曜のOFF明けには、地獄があるので月曜の夜には憂鬱になるのが日課でした笑 私はフィジカルトレーニングが苦手だったので尚更です笑
特にキツかった練習は、6時に集合してからウエイトトレーニングが待っています。このトレーニングには本当に腕が引きちぎれそうなほど過酷です。。週末の試合に向けて、火曜追い込むことが大切になるので妥協は許されませんでした笑 1時間ほどウエイトサーキットでひたすら追い込んだ後に、グランドにランニングシューズとスパイクを持って移動です。。
グランドでは、サーキットトレーニングが待っています。。これもまた、8種目以上あって20秒2セットで2人組で行われていました。。これがまた本当にきついんです。。。
これで終わりだと思うじゃないですか?しかしここからが本番です。。
1000メートル走✖︎8本で締めとなるのです。思い返すだけで吐き気がします笑
これもまたタイム設定が3分30秒以内と過酷です。。筋トレで全身が鉛のように重い中で1000メートルそうは本当に辛かったです。。
全てこなし終わった後にやっとフィジカルトレーニングが終わりま。全てのトレーニングにおいて、コーチ陣が妥協していないかを確認しているので、かなりハードなトレーニングになっています。
このトレーニングで得られるものはかなりあります。。チームメイトとの輪がかなり深まります。この厳しいトレーニングでメンタルが本当に鍛えられます。。
他にもキツかった練習などを皆さんに伝えられればと思います。
是非コメント頂ければ気楽に相談などになれればと思います。よろしくお願いします☺️
プロサッカー選手になれなかった理由
ここで、少し私が幼少期から目指していたプロサッカー選手になれなかった理由を話したいと思います。
サッカーを引退してから5年ほど経ちますが、極力誰にも話したくないことですが、このブログを通じて少しでも誰かのためになればなと思って綴りたいと思います。
プロのサッカー選手になれなかった理由は、単純に1つです。
「謙虚・素直」この要素が明らかに当時は足りていなかったと感じています。
大学入学後1年生から、レギュラーとして試合に出続けていましたが、監督との衝突である日を境にトップチームからの試合から外されてしまいました。
大学1年生時から、jリーグの数クラブから声をかけていただいておりましたが、結局契約には至りませんでした。
先程申し上げた、謙虚・素直この部分はいまプロを目指している方にはすごく大切にしていただきたい。
まだまだサッカーへの想いはつづっていきますので、是非色々なコメントを頂ければと思います。
いざジュニアユースのセレクションへ
柏レイソルu12では、不合格になった私は、少年団に戻り、小学6年生に行われるジュニアユースのセレクションに備え日々トレーニングに励みました。
私が受けたジュニアユースのセレクションは、全部で3クラブです。チーム名はおいおいお伝えさせていただきたいと思います。
結論から行くと、合格したのは1チームでした。この時の喜びは忘れることはありません。母と父と抱き合って喜んだことを覚えています。
800人の選手がセレクションを受け、合格したのは4人でした。合計18名で構成されるジュニアユースは、内定組が14人とかなり狭き門になっていることが言えます。実際には、スカウトの人が早い段階で選手を抱え込んでいる実情がわかると思います。今もスカウトを行っている人から話を聞きましたが、いい選手は早く抑えに行くことが言えます。ここで話を戻したいと思います。
セレクションの流れ
1次セレクション・・ミニゲーム、リフティング、基礎的な練習
2次セレクション・・対人、基礎、ゲーム形式
3次セレクション・・対人、ゲーム形式
このような流れでセレクションを受けました。
柏レイソルu12セレクション
今回は、私がjリーグの下部組織(ジュニアユース)に、入団するまでの道のりを綴りたいと思います。このセクションでは、小学生時の初の挫折についてです。お子さんがプロを目指している方などは参考にしていただければと思います。
私は、特別身長(146センチ、体重40キロのガリガリ)も才能あった小学生ではなく、どこにでもいる選手だったので、少しは参考になると思うので読んで頂ければと思います。
当時は、街クラブの普通の少年団に所属していました。チーム規模は県の大会で2回戦敗退するような弱小クラブでした。(チームでは一応キャプテン)
そんな私は、幼いながらにプロサッカー選手になりたく、jリーグアカデミーに入ることを目標に日々練習していました。小学4年生の時、親の勧めで柏レイソルu12のセレクションがあるから、受けてみないか?と言われたので全くわからないままに、千葉の日立練習場で500人規模のセレクションを受けたことを覚えています。そのセレクションでは、1次、2次セレクションが1日で行われました。内容としては、ひたすらパスとコントロール、小さいコートでのミニゲームでした。(あまりボールに触らなかった笑)なぜか通過し、3次セレクションでは、後日行われ人数は80人ほどになっていました。3次セレクションでは、普通の試合を行って、とにかく止めて蹴るがうまい選手が多いのを記憶しています。みんな、受かりたいから必死にドリブルや自己中心なプレーが目立っていたような気がします。私は、アンパイにボールをさばいていたそうです。セレクションの独特の雰囲気はたまらないほど痺れますよね。全員がライバルで生き残りをかけたサバイバルな感じが私は好きです。
そんなこんなで私はこのセレクションにも通過し、4次セレクションでは4人になっていました。4次セレクションでは、柏レイソルu12に混ざって練習参加し、どのくらい同じレベルでできるのかを見られていました。
この年の柏レイソルのメンバーはそうそうたるメンバーで、現在プロサッカー選手として活躍している選手がたくさんいました。このセレクションでは、現ヴィファーレン長崎ゲームキャプテンの秋野選手と、千葉県のエース、私、神奈川の天才が残っていました。私は、彼らに勝つことはできずに柏レイソルu12には合格することができませんでした。そんな中合格したのは、秋野選手だけでした。彼は、すごい真面目で小学生ながら自立している素晴らしい選手でした。今となっては、夢のような話ですが、もしあの時私が合格してたらどうなってたのかな?なんて考える時もありますが。。。笑
このセレクションを通じて私が感じたことは、3つあります。
①止めて蹴るの基礎技術の高さ
②はじめての環境でもブレないメンタル
③自分の長所を理解しているか
この3点でした。特に感じたのは、うまい選手は止めて蹴るの基礎が完璧ということです。どんな派手はプレーよりも確実性を求めるのがプロのコーチの目線です。小学生でも、自分の長所(ストロングポイント)を把握していることで、どんな状況になっても自分の1番得意なプレーに持っていけます。
この時上には上がいるなと気づき、さらに努力したことが1番大きな収穫でした。
この日を境にjリーグアカデミーに入りたいと強く思いました。
小学生ながらに、すごく悔しかったのを覚えています。私のサッカー人生挫折だらけですが、1つ目の挫折と言えます。
次のセクションでは、ジュニアユースのセレクションについて書ければと思います。
どんな質問でも構わないので、何か質問がありましたらぜひコメントください。
最後まで読んでいただきありがとうございます🙇♂️🙇♂️次回に続く。。